≪これまでの風穴サミット開催地≫
- 第1回 長野県大町市(2014年8月)
- 第2回 島根県出雲市(2015年8月)
- 第3回 長野県上田市(2016年8月)
- 第4回 長野県小諸市(2017年9月)
- 第5回 長野県下仁田町(2018年8月)
- 第6回 東京都(2019年7月)
- 第7回 ...新型コロナウイルス感染症対策で『講演・発表記録集』の刊行のみ
- 第8回 宮城県白石市・仙台市(2020年11月)
- 第9回 ...プレ企画・秋田県大館市(2022年8月)
- 第9回 秋田県大館市(2023年1月)
これまでに開催されたサミットの概要を紹介します。
それぞれのサミットで配布された資料のコピー(白黒簡易印刷)の入手をご希望される方は事務局にE-Mailしてください。コピー代及び送料の実費にてお送りします。
■実行委員会用参考書式(関係者に限る) 準備中
ここには、サミット開催準備に係る様々な書類作成に際して参考となるように、作成例として各種書式を置いています。利用される場合は事務局に連絡してパスワードを使ってフォルダを開いてください。
≪風穴サミットのきっかけ≫
■出会い
2013年夏、清水長正さん(駒澤大学)と荒島風穴の復元利用を進めている一般財団法人越前おおの農林樂舎の方々をご案内する機会がありました。そして、各地に風穴小屋があったこと、それらの多くが崩落していること、一方で私たちと同じように復元利用を試みる仲間も生まれ出ていること、「冷風」の仕組みについての科学的な知見も蓄積されていることを知りました。
そこで、全国の仲間と交流しつつ、風穴の科学を学ぶ機会を当地に設けることで私たちの活動の意義を再発信することを意図して、「全国風穴小屋サミット」を企画しました。幸い清水さんの賛同と公益信託大成建設歴史・自然環境基金の助成金(50万円)が得られ、動き出すこととなりました。
■長野県大町市内での復元利用の活動
NPO地域づくり工房(2002年発足、会員92名)は、「市民からの仕事おこし」を活動理念に、地域の資源の掘り起こし、活かして、「地域に小金がまわる仕組み」をつくることで持続可能な地域社会の構築に寄与することをめざして活動しています。これまで、くるくるエコプロジェクト(ミニ水力発電の普及活動)や菜の花エコプロジェクト(バイオ軽油と菜種オイルの普及活動)を両輪に、自然エネルギーを利用した地域振興の活動を進めてきました。そうした中から、蚕種貯蔵に使われていた天然冷蔵倉庫・風穴小屋の存在を知り、それを掘り起こして今日的利用を模索しています。
かつて、大町市内には3ヶ所の風穴小屋(猿ヶ城、源汲、鷹狩)あったと記録されています(長野県風穴取締規則)。現在、これらのうち、源汲(平地区)は構造物が残存しているものの、土砂の流入のためか冷風は失われています。
猿ヶ城(平地区)は、猿ヶ城風穴調査委員会(倉科和夫会長)により2005年に復元され、地域の歴史や自然に関する学習活動の資源として利用されています。
鷹狩風穴小屋(八坂地区)は1905年に蚕種貯蔵用として建てられたものです。崩落し、その場所の特定も難しい状態でしたが、猿ヶ城風穴調査委員会の猪又毅事務局長の調査により遺構が発見され、有志による大町市と八坂村の合併記念事業として企画され、南鷹狩山自然保護会(松島吉子会長)により2007年に復元されました。
南鷹狩山自然保護会の事務局団体を担うNPO地域づくり工房では、地場産品の高付加価値化を図る観点から、風穴小屋の利用を各方面によびかけ、現在では酒販業者により蕎麦焼酎(2008年開始)と日本酒(2014年開始)の熟成が行われています。
猿ヶ城風穴調査委員会と南鷹狩山自然保護会は、①目的を共有してこれまでも協力関係にあったことと、②双方の会において会員の高齢化等で会務の継続が難しくなっていること、③サミット活動の定着により「大町」としての取組みが必要であることを踏まえて、今年(2017年)4月に組織を合流させ、NPO地域づくり工房の事業部門「風穴プロジェクト」の中で活動を継続させていくこととなりました。
2つの風穴小屋は、本会のエコツアー事業の資源であり、各地からのツアー参加者に風穴小屋見学のプログラムを提供してきました。そうした中で、冒頭に紹介した経過でサミットの企画が生まれました。
■故・市川健夫先生へのインタビュー
清水さんの誘いで古今書院の関秀明さんも企画実行部隊に加わっていただき、サミットの成果を出版という形につなげようと、清水さんを中心に資料集の編纂が進められることとなりました。また、関さんの計らいで、風穴小屋研究の先覚者である市川健夫先生(東京学芸大学名誉教授、元長野県立歴史館館長)に名誉大会長への就任をお願いし、サミットへのメッセージをインタビューさせていただくこととなりました。
インタビューは、2014年3月、市川先生宅で、清水さんと関さん、そしてご子息の市川正夫先生(現・長野大学教授、当時長野県立歴史館研究部長)に同席していただき行われました。その記録は、サミット資料集の巻頭を飾るとともに、録画も会場で紹介しました。『日本の風穴』(古今書院、2015年)の巻頭にも掲載されました。
市川健夫先生は、当時闘病生活にあって、語り口も静かでしたが、風穴について後世に伝えていくことの意義について質問した際に、少し顔を上げて、「現代は、学校で歴史教育ばかりが重視されています。歴史ももちろん大事ですが、地域に関心をもつことも重要です。」と目に力を入れて語られたときはハッとさせられました。
その後、農林水産省や長野県、大町市などの後援をいただき、田舎町の市民団体からの発意が歓迎されたのも、市川先生あってのものと深く感謝しています。市川先生は2016年12月、89歳で逝去されました。